東大阪繊維研究所というブランドをスタートしたのが2017年7月10日。
昨日で丸8年が経ちました。
おかげさまでブランドの売り上げは毎年少しずつ増えてきて、社内に作った店舗にも連日ご来客があり、日々ブランドとして成長できているなぁと実感します。
ブランドを始めた時に「10年かけて事業の柱に育てよう」と決めたので、これから2年でさらに強いブランドにしていかなければと決意を新たにしているところです。
これまで雑誌の取材などで何度もブランドを始めたきっかけを聞かれて、そのたびに毎回だいたい同じような答えを返してきました。
これまで答えてきたことはおおむね以下の通り
・当社の糸作りの技術があれば頑丈で肌触りの良い生地が作れる。それを生かせるのが着用と洗濯を繰り返すことの多いTシャツというジャンルだったから。
・自分自身Tシャツが好きで、一年中Tシャツを着る生活をしているから。
・秋と冬は糸を売り、春と夏は製品を売るというサイクルであれば、リネンやコットンなど弊社の得意とする春夏素材だけで1年間商売が回ると考えたから。
あらためて読み返してみても確かに理由としてはある程度納得感があって、それほどおかしくないかなとは思います。
けれども今ブランドを運営する上で大切にしていることは、スタートした時とはまるで違います。
今ブランドをやっている理由は一言
「お客さんに喜んでもらいたいから」
これにつきます。
カッコつけるわけじゃなく、8年のうちに本当にこの感覚になりました。
うちのTシャツを着た人が鏡を見て「似合ってるやん!カッコええやん!」と思ってもらいたいし「これ着て出かけたい!」「誰かに会って自慢したい!」と思ってもらいたい。
そして誰かの思い出に残るような大切な場面でうちのTシャツを着てもらえれば嬉しく思います。
私は先月50歳になりました。
なんとなく節目を感じる年齢になったので、これから自分はどう生きていこうかなとか、会社をどんな風にしていこうかなとか、いろんなことを考えました。
その中で、これからの仕事で未来に何を残せるのかな?と考えるようになりました。
東大阪繊維研究所というブランドが社会に対してどんな風にお役に立てるかなと。
もちろん企業である以上は営利目的で運営しているのですが、社会の機能として服作りのことを考えた時に、自分たちが生み出すものや自分たち自身の役割についてもちゃんと明確にした方が良いと考えました。
うちの作る洋服の強みは着心地の良さと頑丈さ、そして普遍的でシンプルなデザインです。
頑丈で長く着られる。
これは言い換えると「服を着る楽しみを未来に残せる」ということなんじゃないかなと思います。
今うちの服を着てくれている人の20年後に、まだ「このTシャツ今だに着れるし気に入ってるんよね」という体験を提供できる。
これって素晴らしいことだなと。
それ以外にも、20年後にいろんな時代のアルバムや写真を見返した時に「そういえばこの時もこのTシャツ着てるな!」「こっちの写真でもこのTシャツ着てるな!」と驚いてほしい。
そして何よりも長年着続けたTシャツを眺めながら、楽しかった思い出を回想するきっかけにしてもらいたい。
そうやって服作りを通じて多くの方の未来にいろんな楽しみを残したいと考えています。
それ以外に、我々が培ってきた糸作りや服作りの経験や知識・技術もまた未来に残したいと考えています。
国内の繊維産業が年々衰退している現状があり、それに伴ってモノづくりの技術や知識も失われつつあることを私自身痛烈に感じているので、それら服作りの現場を何とか未来に残したいと思っています。
そしてこれから服を作りたい人たちのためにも出来るだけ有用なノウハウを残せたらと微力ながらに考えています。
原料の栽培から紡績、糸の撚り方、染め方、生地の編みたて、デザインやパターン作成、縫製など1着の服を作るためにはめちゃくちゃ沢山の工程があり、そのどこをおろそかにしても良い服は出来上がりません。
そのなかで特に素材作りについて学べる機会はほとんどなく、これから服を作りたい人にとってそれが問題になるんじゃないかなと考えているので、ユーチューブ動画などでノウハウを残せないかと考えているところです。
別のテーマとして、自分たちのTシャツが頑丈で長く着られることを生かして、日本の伝統的な技術を未来に残すお手伝いもしたいと考えています。
具体的にすこしずつ始めているのですが、本藍染や柿渋染、琉球紅型など日本各地に伝わる伝統的な染色技法で染めたうちのTシャツを販売することで、それらの優れた技術や魅力的な色彩を多くの人に知ってもらい楽しんでもらうお手伝いをしたいと思っています。
私は子供のころから陶芸が大好きで、小さなころから貯めていたお年玉で初めて手に入れたのは忘れもしない小学5年生の時に京都の清水で買った三島粉引の抹茶碗でした。
金額は8千円と小学生の私にとってかなり高額なものだったので、悩みに悩んで買ったのを今でも覚えています。
その後も高校の卒業旅行は山口県の萩で毎日レンタサイクルを借りて萩焼を見て回りました。
大学の時に付き合っていた彼女(今の妻です)との初めての旅行は金沢で、そこでも九谷焼と大樋焼をひたすら見て回りました。
それ以外にも木工や漆器などとにかく日本の伝統的な工芸品が好きで、10代のころからずっといつかそれらに携わる仕事がしたいと思っていました。
そんな中でここ数年、SNSなどを通じて伝統工芸の作家さんや産地の方たちが技術の継承や発展のために様々な問題を抱えながらも前向きに活動されていることを知る機会が増え、自分たちの今の仕事が何かの役に立たないかなと考えるようになりました。
その結果私が行きついた答えが「伝統的な染色技術を長く日々の暮らしの中で楽しんでもらうために、うちの頑丈なTシャツがお役に立てるはずだ」ということでした。
100回着てもヘタらないうちのTシャツを伝統技法で染めることで、魅力的な工芸の色彩をガンガン普段使いで楽しんでもらえるじゃないか!ということです。
これについてはまだ取り組み始めたばかりなので、これからどんどん発展させていきたいと思っています。
長くいろんなことを書き連ねてしまいましたが、9年目を迎えて東大阪繊維研究所が今たどり着いたテーマは
自分たちの服で未来に何が残せるか
ということです。
これは大きな挑戦です。
まだまだ自分たちが気づいていない自分たちの服の価値を見つけることができるかもしれないし、もっと多くの人に喜んでもらえるかもしれないという期待でワクワクしています。
これからも毎日やることといえば、コツコツと糸を作り生地を作り服を作るということでしかないのですが、心に大きなテーマを抱いて9年目からの東大阪繊維研究所もさらに沢山の人達に喜んでもらえる服を作っていきたいと思います。